千葉方面で法事があったので、久々に京成を利用した。まあJRで行くのが普通だろうが、いいじゃん!!京成に乗りたかったんだから。
本年6月末が前身の京成電軌創立100周年とかで、スカイライナーもそのようなシールを貼っている。
あくまでも会社創立100周年であって、電車が走り出したのは、もっと遅い。最初の区間である押上―江戸川と高砂―柴又間が開通したのは191211(大正元年)である。
さて、久しぶりに乗った京成で印象的だったのは何といっても京成船橋が上下線とも高架になっていたことだ。
同社85年史によると199302に船橋市内連続立体交差化工事の安全祈願祭を挙行したというから、この頃から実際の工事が始まったのだろう。
上下線とも高架になったのは200611のことで、安全祈願から勘定して13年経過している。大工事だが、この段階では2階のコンコース部分が未完成であった。
この京成船橋付近の高架化だが、まず上り線が200411下旬に完成、供用開始している。画像は200509のもので、その状態。上りホームから下り側を見ている。
某生涯学習団体の合宿が千葉方面であり、船橋で乗り換え千原線の学園前まで京成で行った際に撮影した。
もちろん同学には説明できないルートだ。皆さんはJR千葉で集合し、そこからバスで行ったらしい。
それ以前、地上時代はこんな状態だった。画像は199402のもので、これも上りホームから下り側を見ている。
地上時代は対向式ホームに、それぞれの改札があったと記憶する。朝ラッシュに上り改札から画像の踏切を横断してJR船橋に向かうお客が多いのに、ラッシュ時は遮断時間が長く、よく話題になった。
今回の高架化で抜本的に改善されたが、残念なのは本当の直上高架のようで、カーブの改良などが見られないことだ。
それでも対JRの乗り換えは飛躍的に便利になった。京成にとってはあまり嬉しくはないだろうが、スピードアップなど細かい努力で地道に逸走を防ぐしかあるまい。
せっかく京成沿線で時分どきになったので、京成八幡駅直近の大黒屋へ。荷風散人が最後の外食をしたというので有名なお店だが、普通の和食屋といった態。といっても保谷あたりではこのような店もない。
今年は散人の生誕130年、没後50年だそうだ。ということは荷風30歳のときに京成電軌が創立したことになる。もっと後、1946(このとき67歳)に市川に転居してから、京成の話題が日乗によく登場するようになる。
といっても鉄分の人ではなかったようで、例えば「京成電車沿線彼岸花盛にひらく」(日乗19470927)といった内容が中心だ。
大黒屋だが、老生は19960427東葉高速鉄道開業日に、帰路ここでカツ丼を食している。
その時はなかったと思うが、荷風セット??を新発見。散人の発注パターンだったカツ丼、上新香、菊正1合が画像のようなセットメニューになって1200円+悪税。お銚子1本はやや物足りないが、1260円で散人気分になれるのだからちょっと嬉しい。