今年の東京国際映画祭で見た中にオムニバスが2本あった。「些細なこと」(破事兒)と「愛の十年」(十分鍾情)だ。なぜ今オムニバスか。どうもこういうことらしい…。
東のハリウッドといわれた香港でも、映画館で映画を見る人が減ってきた。一方ネットの影響で短い動画に親しむ層が出てきた。そこでオムニバスに新しい市場が生まれたと考えたわけだ。
大昔、林不忘、牧逸馬、谷譲次(この3人は同一人物)の作品を集めた一人三人全集というものがあったが、「些細なこと」(破事兒)は画像の彭浩翔導演版一人三人全集のような感じ。
「些細なこと」とはうまいタイトルで、小説も書く導演の心に留まったことどもを映像化した作品である。
持て余し気味の同級生「大頭阿慧」(これがジリアン鍾欣桐!!大頭はオカッパのことらしい)、プロデューサーでもあるチャップマン杜汶澤扮する客が娼婦のケータイにチャージしてやる「増値」などが印象に残る。
「愛の十年」の方はオーソドックスな9組の導演による短編集で、場所などもダブらないよう配慮している。
画像はプロデューサーの一人ウィリアム譚浩瀚と、「舊山頂道」パートの導演オーブリー林愛華。女優さんではなく監督さん。
返還後10年ということで企画したようだが、あまり強くそのことを打ち出してはいない。最初の「舊山頂道」は熟年男女の来し方といったものでモノクロームのしっとり感がある。舞台劇のような「依然有夢」、「開飯」も印象的だ。
とにかく映画館に映画を見に行く人が減っているという危機感は強い。違法コピーの危険はあるものの13億人の中国大陸市場を意識せざるを得ない。
違法コピーが前門の虎だとすれば、後門の狼は検閲制度であろうか。
「愛の十年」は10人の導演による構成であった。ところが1人のパートがどうも検閲に引っかかりそう、あるいはパスするのに時間がかかるということで、今回の9組体制で完成にこぎ着けたようである。
一方の「些細なこと」は、どうも検閲を通りそうもない。であれば大陸の検閲に通らない、スケベとか汚いといった要素をテンコ盛りにしてしまえ!!という割り切りで制作したそうである。
イーソン陳奕迅がおっかしい「做節」、エディソン陳冠希が語り続ける「公德心」あたりは検閲通りそうもない感じ。
「増値」も裸場面がある。そういえば出撃前の杜汶澤が陳奕迅と会話する後ろにあったのは「大丈夫」のポスターではないかな。
どちらに働くにしても検閲制度は影響力をもつ。だとすれば、丸ごと1本引っかかるよりも例えば1/10で済むオムニバスは、ささやかな抵抗であるかもしれない。