
予定通り本日(1226)から地下の駅務室が移転、コンパクトになった。

こちらは昨夜(1225)の様子。
自由通路側に窓口があるが、東側のラチ内にも窓口が開いている。
新駅務室は完全にラチ外の自由通路に面している。この地下通路の構造に、お客ももう慣れたという判断であろうか。

眼が地上の風景も見たがっているが先週とほとんど同じ。

一応、練馬高野台側も掲出しておくが、これまた先週と見た目変わらず。

ホーム東端から眺めただけだが、富士見台9号踏切から練高に向かって、上り線に工事用車両の走行路が設置されているのを確認した(上記練高画像の端にも写っている)。
上り高架構造物に何か施工することでもあるのだろうか。

西武池袋線保谷駅の留置線だが、やや動きが出てきたかもしれない。
画像は1221朝のもの。長らく白い砂利袋で仮設状態だったが、西側20メートル程度(横の上り6000系1両分くらい)を残して本設的になっている。

保谷3号踏切の道から眺める。
緩いカーブで現上り線に接するかと思っていたが、平行にすり寄った感じ。確かに留置線と本線の間の架線柱を避ければ、もうちょっと近づいても大丈夫そうですな。
これからまた気が遠くなるくらいの時間が経つと、画像の白い袋のところが曲がるんだろうね。
手前に見えているレール類は、3号踏切西側のポイントを組み立てた作業スペース。

高架複々線化工事中の西武池袋線石神井公園、1220昼の様子。
山側から見ると放物線(サイン曲線??)状のデザインが確認できるようになった。

1226から地下の駅務室が南側に移動するらしい。
20100207に上り線が高架になると、上り線単独の改札が山側にできるようだ。南口からの上りのお客は、ちと面倒になるだろうな。

南側から見てみる。北側には半透明の壁ができるのかな。
東側の上屋のこぶの西側にできたのはエレベーターのスペースか。

先ほどの図から考えてもエレベーターのスペースに間違いないだろう。
その西にできているのは待合室だろうか。
1221追記:

諸般の事情(10日ばかり自宅LANにつながらなかった。ビックカメラで780円の子機買って解決)で掲載日がずれているが1218の練馬高野台。
外側急行線の作業が進んでいるが、このアングルから見ると現上り線を使用停止したら直ちに上り緩行線もつながりそうな気配ですな。
なかなか興味深い編集だが、就中「鉄道ひとつばなし」は老生のお気に入りである。
原武史氏は恐らく老生より一回りくらい年下であろうが、氏の描く西武沿線、東急沿線の比較にはかなり同感している。
最近では「東大合格上位校と鉄道」が秀逸。
「東大合格高校盛衰史」(小林哲夫)に触発されたと明記してあるが、学校群だけではない、あるいは学校群の終わった後の東大合格上位高校の盛衰が新規路線の開業と関連があるのではないかという考えだ。
大いに関連がありそうですな。開成なんか西日暮里ができる前は行きにくい学校でしたな。
小学校の友人で何人か中学を受けて、半分くらい合格したんだっけ??
老生はエントリーしなかった。あの時お受験していれば人生変わったのだろうな。
…というようなことを書きたいのではない。201001号の目次(画像はその極一部)を見てニヤリとしたのは老生だけではないだろう。
素直にスキャンしたのではなく、途中のリーダーケイを中抜きしている。こんなところに原町田!!といいたくなりますな。
ま、こういう物件はおもしろくない向きには全くおもしろくないので、これでやめておこう。

2面3線化工事中の西武池袋線保谷駅。新設上りホーム、1217朝の様子。
ホーム端のスベリ止めとか点字ブロックの設置が進んでいる。床面ができればホームとしては完成だろう。

保谷3号踏切西側で作業中だった片渡りは完成形になっている。

架線や信号系については確認していないが、線路としてはできあがってるようだ(これらは1216撮影)。
新設ポイントから3号踏切までの間にレールが置かれている。
何か起こるのだろうか。わざわざ遠方にポイントを移設したからには何かあるのだろう。

田町の天使の街の立ち飲みそば屋丸長、しばらくご無沙汰していたら、出前で巻物がいただけるようになった!!
で、早速試みる。なかなかいいじゃん。
普通の立ち食いそば屋でも缶ビールとかワンカップくらいは出すところが多いだろう。ここんちはそんな程度ではなく、焼酎がキープできる。
まあ、そこまでは正常進化の範疇だと思う。
ところが、ある時ナンを頼めることに気づいた。これをそば屋流のカレーにつけて食す。さらに今回一部寿司までOKになったわけ。
これらは丸長だけでできることではなく、天使の街のクラウド的パワーの成果であろう。

人類が生物の種としての進化を一段落させた後、社会的存在としてさらなる進化を成し遂げた歴史をなぞっているかのようだ。
丸長単独で焼酎キープまで進化した。その後天使の街という社会の中の存在としてナン、巻物段階まで進化したのだ。
そのような理解でよろしいかと思う。どのような理解でもよろしいであろうが。
インゲン天ぷらのヌキで焼酎ロックが一番好きな老生にとって、社会的進化は、あればいいがなくても構わぬ。

2面3線化工事中の西武池袋線保谷駅周辺、1214朝の様子。
保谷3号踏切西側の片渡りだが、先週末までに上り線側に分岐が挿入された。1126に下り側に入っているのを確認している。

近寄ってみる。
ここまでできているので、もうじき片渡り復活であろう。

先週末は画像のような光景も見られたので、何ごとか起こるかと瞠目して刮目して注目していたが、素人目には矩形の穴が掘られただけのように思える。機器の箱でも据え付けられるのであろうか。

中央線120周年寝台号が1211夜、八王子から新潟に向けて走った。画像は新宿で運転停車したところ。車両は人気の583系だが、中央線と縁が深いとはいえないだろう。
新宿方クハネ583-20編成は秋田車両センター所属で、仙台車に比べると正面貫通ドアのワレメを斟酌せず、見るからに開きそうにない風情。まあどちらにしてもダミーだ。
これはJR中央線の開業120周年イベントの一環。18890411甲武鉄道が新宿―立川間を開業してから、今年で120年ということである。

このようなヘッドマークをつけた電車も目にした。
120年にわたり発展したのは以下のような要因によるだろう。
他私鉄と比較して早い時期に開業したこと、また現山手線と連絡しただけではなく新宿以東に独自の市街線を建設できたことも見逃せない。
江戸城外堀を利用して立体交差による市街線を建設できたのは、ラッキーだったのか賢かったのか。はるかに短かった日本鉄道の上野―秋葉原間地上線は踏切事故が多かったとも聞く。
老生は西荻などで飲むことがあるが、さすがに西武沿線と比べれば街の懐が深いような気がする。沿線が早くから拓けた結果である。当たり前といえば当たり前だが、社会資本の蓄積の差はなかなか縮まらないだろう。彼我の飲み屋の水準の差を見ただけで明らかである。素直に羨ましいと思う。

そんな中央線にとって何よりもめでたいのは、記念になる年の1206から三鷹―国分寺間の上り線も高架化できたことであろう。
画像は高架切替翌日、武蔵境付近の上り線を行く東京方クハ201-128編成。この光景も長くはないだろう。